景色を朝見るたびに、秋の風景にドンドン変っていく哀愁漂う毎日。
トレーニングとホームページの作業のみを繰り返す毎日。。。
トピックは無いので、僕の頭の中を少しさらけだします。
読みたくなければ読まなくていいです。。。特にオチないんで。
スノーボードの話題がもうそろそろ出てもいい頃なんでしょうがまだしばらく釣りです。
僕が最初に釣りに目覚めたのは・・・・
ちょうど今頃か秋祭りで出店がたくさん出ていて、その中に「ヒヨコ釣り」
があった。ですよ あの生きたヒヨコです。
竿は割り箸 糸はタコ糸 ハリはクリップ エサはさなぎ粉をまぶしてあるうどん。 一回やるのに確か子供は200円か250円やったような。 金魚すくいの水槽の少し深い容器にヒヨコが敷き詰められていて200匹ぐらいはいる所で釣るのですが、うどんがなくなれば終わりです、ヒヨコが突付いてくるのですがなかなかこれが釣れません、色々考えてやっとかかっても釣り針では無いのでヒヨコの重みや羽ばたきで落ちてしまうんです、釣れればそのひよこはもらえるし、もし釣れ無くても子供なら一匹くれた様な感じでした。そこには祭りの雰囲気もあったしヒヨコ対僕の年に一度の戦いの場でもあったんです。
親戚の大人は20時ごろに行って祭りが終わるまでヒヨコをやっていても構わない風だったのですが、なぜか子供だけは「禁断のヒヨコ釣り」みたいな風潮が親戚間には流れていて、なかなかその場所にいけなかった事もはっきりと覚えています。 確かにそんな生き物を釣りにしてかわいそうとか色々教育やしつけには悪いと考えてそういゆう風になったんでしょうが。
だけら子供のヒヨコに持てる時間は30分。
そこで
祭りが近づくと ヒヨコ釣りの作戦会議が僕の小さい右脳の中でイメー
ジされます、「去年は確かクリップの角度が伸びていたから今回は少しエサを取れにくくするために上にクイって上げてみよう」とかエサを少しちぎって最初は小さくして2回に分けて使おう」とか色々考えた。
そして本番早めに晩御飯を切り上げて 颯爽と祭りに向かう、親戚等は足止めしようと他のクジやミルクせんべいや神社のお参りをと。。。やっとヒヨコに着いたら満席で入る余地が無い時もあった、、、けど執念で30分後にやっと待ちに待ったヒヨコとの対決が始まった。。。。でもはじまれば
興奮状態で何も作戦を遂行できないまま、夢の時間は過ぎていった。
自分で釣ったヒヨコはトータルで2匹ぐらいしか釣れなかったと思います、それでも僕はヒヨコ釣りが好きで好きで仕方なかったのを覚えています。
まだ終わりません。
大人が釣ってきたヒヨコを頂いて、家に帰って飼育するのですが、
学校へ行ってもヒヨコの事で頭がいっぱいで、学校が終わったら速攻帰ってヒヨコにエサをあげたり、あげながら祭りの事を思い出しながら反省会を一人でやっていました。けど一週間もすれば育て方が悪いのか全部死んでしまって、なかなか思うようにニワトリにさせてあげることができませんでした、もっと温かくしないと駄目な事が中学生になってやっとわかりました(そのころはヒヨコは無かった)
今思えばかわいそうな事実です。
こうやって僕の釣り人生は始まりました。
けど なんだろう この祭りは僕にとって今も色々な思い出の塊です。
親戚じゅうが全員集まって色々な会話を楽しんでいたこと。
そんな親が僕らに「ヒヨコはアカンよ」って怒ってるそばで、今は亡きお爺ちゃんが「そんなんどうでもエエヤン」て顔で僕らを見てたり。。。。親が一番子供やなと子供に悟られていたりした。
色んな意味で秋の祭りは僕の原点。
大阪を離れてもう14年。
「ヒヨコ釣り」もうないやろ~な~。

3 Comments
そんなルーツやったんや(笑)
ヒヨコ釣りか・・・そんなんあったんや。。
うちらの家のまわりではそれはなかったなぁ。。
ヒヨコなら、小学校の前で、ヒヨコを売りにきてるオッチャンとかおったしなぁ。
買ってかえっても、うちもニワトリにはできなかった。。。
そのころから、結構いろんなこと考えてたんやなぁ~~
それにしても14年も経つの??
そうか・・・なんか感慨ぶかいもんあるなぁ。。
月日が流れるのは、早い・・・
秋の白馬もすてきやなぁ。。。
行こう行こうとおもいつつ・・そのうち、雪がふるのかもね。
ボチボチスノーボードの準備してます。
また、おかしくなる季節がやってくる。。
誰も。。。何気ない忘れかけたような思い出が人生を大きく左右してると思いますよ。 思い出してみてください。
ヒヨコつり知らない人多いよ。