秋なんで色々な事を感じやすい時期なんです、色々書きます。
今日はコルチナスクールのムーランから大根とキャベツと二十日大根を頂戴した。。。。大根は葉っぱが青々と付いたままで、すばらしく取れたて感がにじみ出ていて、食べる前にもすでにうれしかった。。。。
秋になるといつも思い出すことがある。今は亡きおじさんが暇そうにしている僕を畑によく連れて行ってくれた事。
その畑には季節折々の野菜が育っていたり、周りの田んぼでも苗から収穫やら色々な景色があった。。。。でもこれが本題ではない。
その畑の周りには林や池や小さな用水路があった興味はそにあった。
そこには季節折々の虫や魚がいた、春にはオタマジャクシやモンシロチョウ・夏にはセミやカナブン・秋には卵を産むカマキリやバッタ、冬には冬眠するザリガニ。。。。畑には小学生のあいだズット連れていってもらったので、小さなオタマジャクシに足が生えてしばらくして行くと尻尾が退化してカエルになりかけていたり。。。昆虫の一年間の成長を直に見た。
危ないからあんまり行ったらアカンと言われていた溜め池にも。。。
たまには目は盗んで行った、、、、行くと。
そんなに大きな池じゃないけど、、そこには大きなコイがいて5年目ぐらいには1mぐらいに成長していた。。。いつか釣ってやるとたくらんでいたら、小学生の時良くその鯉を釣る夢を良く見た。
でその池でカワウソを見た事がある、ある日そっと池を覗くと川のほとりに少し大きなイタチみたいなのがいて、僕に驚いて ドボンと池に飛び込んだ。。。。でも泳いでこっちにくるんちゃうか?と思って少しびびった思い出がある、あれは絶対カワウソだった。
その時ぐらいから、自然は面白いな~ 興味深いと 思い始めたと思う。
おじさんは車で帰るときもあんまり話しなかったから、僕は車から景色をいつも窓ガラスに張り付いてみていた。特に秋は空気の冷たさや匂いが違うな~とか、「なんとなく寂しい感じがする」とか感じまくっていた事を鮮明に思い出す。
しかもそれを絵に描いていた。。。。カワウソも書いた溜め池や車でみた景色も書いた、兄弟のいない僕は家に帰って思い出して、また次も畑にいきたな~と期待していた。
そうやって頭の中は自然でどんどんイッパイになっていった。
畑に連れて行ってくれた親戚のおじさんは数年前に残念ながら亡くなってしまったけど、僕の中ではその思い出や経験は今の自然にまつわる仕事となってヨミガエッテいる。 当時は当たり前に感じてたが大人になって本当に感謝している。
今も秋の風景の早い移り変わりに、ある寂しさを感じるのはなぜだろう?と思う。
I LOVE SNOWBOARD エピソード3
スノーボード大好きな人 なら 「逆ひねり」って知ってますか?
文章では説明が難しいんですけど。。。。滑る時の体の動きの事なんですが、体の上の方をクイットひねってその反動で下半身を上体とは反対の方向にひねってボードを動かしターンしていく滑り方?です。
体の動きについては色々あるんですが、確かに上級者的にも必要な運動要素なんですが。。。。。。。ものには程度というものがあったり、かっこいい標準なすべりとは違うんです、このギャクヒネリは。。。。。。
当時スノーボードをハジメタ頃。。。。ゲレンデ中がギャクヒネリスノーボーダーだらけでした。雑誌やスクールやショップの情報量が乏しかったせいもあってか。。。。カッコイイナ~と感じるナイスなスノーボーダーはほんの一握りでした。
で。。。僕なんですけど。。。。見たら焦るぐらいの
スーパーギャクヒネリスノーボーダー
だった。
どんなのかというと、、、滑りに行っても行っても上達が見られないんです、マアそれなり本人は楽しかったんですけど。。。「やせ我慢したスピードオーバー」だったり「超クイックなターン」でイケテルかも?と勘違いしてたんです。
別にボーリングだってオカシナ投げ方でストライク取ってワイワイ楽しんでる人がいっぱいいるように、そのフォームが悪いとかおかしいで誰にも迷惑なんて掛けないから いいんですけど。。。。。。。
結局 僕 スノーボード始めてから 6年ぐらいギャクヒネリボーダーやってました。最後には誰もがやっていないような奇抜な滑りになってました。
このギャクヒネリがNGなのか?と気づいたエピソード
① 人生2回目のスノーボードであれ完全なギャクヒネリだね~と別の人を指差して友達が言ってた。 ← へ~そんなアカンねやと気づく。
② 二年目 冬に1ヶ月足らず岩岳スキー場で篭った時に知り合ったチャラチャラした関東のスノーボーダーに「君それ逆じゃん」と言われた。
③ 5年目ぐらいかスノーボード雑誌に「逆ヒネリになってない?」
とそんなコーナーがあったり。
と言われるうちに 自分完全にアカンねや。。。と気づいてきた。
でもせっかくの休みに滑るのに 自由に滑ろ と改善される
方向にはなかなか進まなかった。
最後はひねると駄目なんだと認識した僕は 「ウエーブ」 って名前なんですけど腰をクネクネさせてその波のような波動がヒザに伝わってそれで、ゲレンデを掃除するようにボードを操作する。。。。。動きになった。なってしまった。
僕はそれでもスクールには入らなかった。。。てよりそんな選択余地はコレッポッチも頭に無かった。。。。。
学生の時もサラリーマン時代もほとんどの冬の連休祭日はゲレンデに日帰りでも行って、マイペースで楽しいスノーボードライフを送っていた。
今思えば 滑りの質を早く磨けばよかったとホント後悔する。
変な滑りしていても、楽しいと思えるスノーボードはホントスゴイと思う。
変な滑りじゃないかとお悩みのアナタ。。。。。
コルチナスノーボードスクールが一挙解決いたします。
I LOVESNOWBOARD エピソード2
僕のスノーボードのはじまりは前回の感じ。。。
またまたその続きです。。。。。
早速、 中古の板買いました。
次の日、 首が痛すぎて病院にも行きました。
一週間後 痛みが治まってその週に地元の大阪の友達と2回目のスノーボードに行って、友達上手くて さらにガンバロウと思った。
で。。。。みんなと行った時に 僕。。。オカシナ事言ってました。
↓
例えば 滑っていて友達が大転倒するでしょ?
どうします? 素通りします? 程度にもよるけど。。。
僕は友達の愛が欲しかったのか、待ってて欲しかったんです。
例えば6人で行ったら、バラバラで滑るのは悲しいし、、、遅い人に残念ながら合わせないとかわいそうやし、お互いにイタワリアイナガラみんなで
滑りたかったんです。。。。みんなで行った時は。
そんなことがあると行く度に 一人で激怒してました。。。激怒です。
激怒したら、、、当然友達 クールダウンダウンでサメサメ
だから僕が行くと楽しいスノーボードジャ無いんです。。。。
結局 数回は友達とも行ったが、なかなかそんな性格を自分では治療できなかったんで。。。。。。
ヨシ ヒトリデイコウ と
単独行動しました。。。。。それから毎週の様にスノーボード行きました。 今でもそんな自分の協調性の無い性格アリマス。。。友達よゴメン。
雪山は楽しいけどツライ事もイッパイあります。
よくゲレンデでカップルケンカしてるし。。。。
でも今と比べるとウエアも良いの無かったし(買えない)用具もグローブもボトボト(手がyabai)そんな中で天気が悪ければ楽しい訳が無かったんでしょうね、今は安い用具でもそこそこは遊べるし耐久性もある。
用具もしかり。。。。地図・車・高速・雪道・時間・深夜・チェーン・チームワーク・お金・滑り・WAX・チューン・宿・食事・温泉・旅行・友人・SHOP・体力・筋力・女・温泉・バイト・車中泊・・・・・・・・
若かった自分にはもってこいのスポーツだったと思った。
ボードをはじめて以来一気に色々な知識や器用さが必要になってきて、自分でも人間としての成長を感じた。そうやって徐々により良いスノーボードライフにレベルアップしていくのを実感するの事が地味に楽しかったし、
今でもそう。
振り返れば 俺 熱すぎたな。
スノーボードの思い出①
今日出かけるとき北アルプス山頂付近が雪で白くなっていた。やっぱり
冬は近づいてきている。
さて今日は初めてのスノーボードをやった時の話です。
今回もつまらなく話が長くなります。
かれこれ僕が19歳の冬。。。大阪で学生の時の事、学校の友達5人でスキーツアーで斑尾に行った。 。。僕は冬が嫌いで冬は何をしてたんだろう?と思うぐらい「無」だった。釣り以外何かしないとといつも自問自答していた矢先に「スキーおもろいかも」とひらめいた。
スキーは高校生の時にツアーやら授業で行ったんで転がりながらでも少しは滑れた。 到着して一本目。。。なぜか僕のスキーがやたら開放値がゆるく、すぐ外れて早速楽しめなくて、やっと一本降りて即レンタル屋に文句を言いに行った。
「コレ メッチャ外れるんですけど?」 レンタルスキーは古くいかにも
どれもダメそうなのばかりだった。
店員は奥でゴソゴソしていいスキーを探してくれていた。。。。僕は店の壁の少し高いところに黒の長細い「スノーボード」があるのを見つけた。。
スイマセン。。。コレもツアーの券で借りれますか?と質問すると。。
大丈夫ですけどぉ~と少し不安げにOKしてくれました。
(地元の親友は少し前からスノーボードをやっていたので、存在は知っていたし、興味はあった) ヨシ。。。ゲレンデへ。。。。。
あわあてた店員が。。。。「ゲレンデが決められているんです」
その当時スキーが9割 ボードは危ないからと滑走OKエリアがあった。
数分板をかついで移動。。。。日陰のカリカリのバーンに到着。
サ~ どうするんだろう? コレ
人の滑りをキョロキョロ見て。。。。モノマネ。。。。ボテ。。ドテ。。
小学2年生からスケートボードをやってたんで楽勝かと踏んでた。。。
ボテアレレ~ 首 グキ ボキ ドテ。
全く滑りになって無い。
僕はスキーに来ました → スノーボードの板はカリマシタ→現場へ。。。。。ブーツが。。。。。
帰ってから判明したんですが、、、、、
板はフリースタイルしかもウエストはバリ太。
ブーツ スキー(アルペンブーツか?)
バイン(アルペン用)
周りでもいち早くスノーボードをやっている人は数人いた。ビュンビュン
滑っていく、たまにこけてる僕に雪しぶきを掛けて去って行く。。。。
「クソ~ 絶対にうまくなったる~」と誓った。
あと他の4人の友達はスキーなんでほとんど別行動、結局僕は4日間スノーボードを一人でやりきった。。。帰って大阪の親友には「結構ナイスな滑りしてたんちゃうか?」とか言いながら僕の中で残ったのは首のムチウチと全身打撲状態の体と数メートルも滑れなかった冷たい日陰のゲレンデ(確かラビットコースやったか?)のツライ思い出だけだった。
ここで終わる僕では無かった。。。長野県信濃町斑尾から夜行バスで大阪の梅田駅に到着。
地元の枚方市に帰った。。。。家に到着して僕は再度駅前のヒルハウスというサーフィンのショップへ行った。そこにはスノーボードも置いてあった。
スノーボードは当時一本10万円を超えるのばかりでスグには買えなかった。 残念そうに指をくわえる僕に天使はいた、店長が「僕の去年まで乗ってたヤツなら売ってあげてもいいよ~」と言ってくれた。
ウンそれ欲しいです。。。と即答した。
もう一回夕方に行って見せてもらって。。。バートンのエアーという158センチのフリースタイルの板 バインディングはNITRO(ナイトロ)を良いかどうかは不明だけど僕はそれを売ってもらった。
僕のスノーボードライフはこうやってハジマッタ。
あの開放値のゆるいスキーが。。。。僕のスノーボードライフを開いてくれた。。。。んだなと感謝します。
そして中古ボードを譲ってくれた店長(今はリスペクトというショップ経営)に感謝します。。。。熱く語る僕に手を差し伸べてくれた恩人。
その恩人が。。。。。。。。。でで これは偶然か必然か?
いつも登場するオオナラ原人西村さん。。。違うJSBAプロスノーボーダーの西村さんのサーフィンの師匠でもあるのが発覚。運命か?
いつか地元に帰ったときに挨拶にいかないといけないな~と思っています。
皆さんの初体験スノーボードも惨劇は多いと思います。僕思うんです
スノーボードは難しいから面白いと思います。よくスクールや雑誌に
‘スノーボード超簡単とか色々書いてあったり宣伝文句を見ると・・・
「難しいから面白い」と書いた方がいいのになぁ~といつも突っ込み
難しいスノーボードはじめるなら・・・・コルチナスノーボードスクールでハジメヨウ。。。。一人でやるよりは簡単です。 是非。
釣りの思い出①
景色を朝見るたびに、秋の風景にドンドン変っていく哀愁漂う毎日。
トレーニングとホームページの作業のみを繰り返す毎日。。。
トピックは無いので、僕の頭の中を少しさらけだします。
読みたくなければ読まなくていいです。。。特にオチないんで。
スノーボードの話題がもうそろそろ出てもいい頃なんでしょうがまだしばらく釣りです。
僕が最初に釣りに目覚めたのは・・・・
ちょうど今頃か秋祭りで出店がたくさん出ていて、その中に「ヒヨコ釣り」
があった。ですよ あの生きたヒヨコです。
竿は割り箸 糸はタコ糸 ハリはクリップ エサはさなぎ粉をまぶしてあるうどん。 一回やるのに確か子供は200円か250円やったような。 金魚すくいの水槽の少し深い容器にヒヨコが敷き詰められていて200匹ぐらいはいる所で釣るのですが、うどんがなくなれば終わりです、ヒヨコが突付いてくるのですがなかなかこれが釣れません、色々考えてやっとかかっても釣り針では無いのでヒヨコの重みや羽ばたきで落ちてしまうんです、釣れればそのひよこはもらえるし、もし釣れ無くても子供なら一匹くれた様な感じでした。そこには祭りの雰囲気もあったしヒヨコ対僕の年に一度の戦いの場でもあったんです。
親戚の大人は20時ごろに行って祭りが終わるまでヒヨコをやっていても構わない風だったのですが、なぜか子供だけは「禁断のヒヨコ釣り」みたいな風潮が親戚間には流れていて、なかなかその場所にいけなかった事もはっきりと覚えています。 確かにそんな生き物を釣りにしてかわいそうとか色々教育やしつけには悪いと考えてそういゆう風になったんでしょうが。
だけら子供のヒヨコに持てる時間は30分。
そこで
祭りが近づくと ヒヨコ釣りの作戦会議が僕の小さい右脳の中でイメー
ジされます、「去年は確かクリップの角度が伸びていたから今回は少しエサを取れにくくするために上にクイって上げてみよう」とかエサを少しちぎって最初は小さくして2回に分けて使おう」とか色々考えた。
そして本番早めに晩御飯を切り上げて 颯爽と祭りに向かう、親戚等は足止めしようと他のクジやミルクせんべいや神社のお参りをと。。。やっとヒヨコに着いたら満席で入る余地が無い時もあった、、、けど執念で30分後にやっと待ちに待ったヒヨコとの対決が始まった。。。。でもはじまれば
興奮状態で何も作戦を遂行できないまま、夢の時間は過ぎていった。
自分で釣ったヒヨコはトータルで2匹ぐらいしか釣れなかったと思います、それでも僕はヒヨコ釣りが好きで好きで仕方なかったのを覚えています。
まだ終わりません。
大人が釣ってきたヒヨコを頂いて、家に帰って飼育するのですが、
学校へ行ってもヒヨコの事で頭がいっぱいで、学校が終わったら速攻帰ってヒヨコにエサをあげたり、あげながら祭りの事を思い出しながら反省会を一人でやっていました。けど一週間もすれば育て方が悪いのか全部死んでしまって、なかなか思うようにニワトリにさせてあげることができませんでした、もっと温かくしないと駄目な事が中学生になってやっとわかりました(そのころはヒヨコは無かった)
今思えばかわいそうな事実です。
こうやって僕の釣り人生は始まりました。
けど なんだろう この祭りは僕にとって今も色々な思い出の塊です。
親戚じゅうが全員集まって色々な会話を楽しんでいたこと。
そんな親が僕らに「ヒヨコはアカンよ」って怒ってるそばで、今は亡きお爺ちゃんが「そんなんどうでもエエヤン」て顔で僕らを見てたり。。。。親が一番子供やなと子供に悟られていたりした。
色んな意味で秋の祭りは僕の原点。
大阪を離れてもう14年。
「ヒヨコ釣り」もうないやろ~な~。
秋感じる
道の脇に落ちているクリ。
コロコロ 道に落ちている栗。
足で割るとプリプリの栗が出てくる。
知り合いの奥さんは目の前でそのままナマで割って食べた、野生的な奥さんだと思った。
でも基本的には栗は秋の装いをふんだんに感じさせる。どことなく幸せな気分にさせてくれる。
右脳爆発寸前
少し前に安曇野市の国営アルプス安曇野公園に行ったオープン当初無料で行ったけど今回は400円払って入場。。
色々やった。上の写真のグルグル、ハンモックで寝たり、でかいゴムボールで遊んだり。
竹馬もやった(幼少期 近所で何故か僕だけやっていなかった。)
建物の中には渓流の水族館。
2時間はいたかな。。。。。
季節の変わり目でスノーボードと釣りの事で
頭がいっぱいで。。。。どれもこれも集中して遊べない。
うお~
注意 写真のカラーは変えています。。。今のイメージなんです。
糸魚川アオリイカエギング物語③
今日は市振と親不知の港に昼間にイカ釣りにいった。
普段は夜ばっかりなんでエギの動きやイカがエギに抱きつく光景はしばらく
見ていなかった。
まず市振。。。。2ヒット2バラシ 釣れなかった。
親不知。。。。。道中 釣れる予感で胸がなぜかいっぱいだった。
そして7杯のミニサイズのアオリイカが釣れた。
エギのサイズ・カラーのセレクトの仕方、エギの動き、沈むスピード、ロッドアクション、抱きついた時のアタリ今回は勉強になることが多かった。
でこれが。。。。3号の手によって
になりました、自然の恵みに感謝。
おっと3号に感謝でした。
yamany-kawanyになった日。
ツリバカ3号が。。。。2日前に「登山イコカ?」といった。
彼は暇あれば釣りか登山に行っている。僕は暇があれば釣りか釣りだけ。。
いつかは見ているだけの山は卒業しようと考えていた。
そして前日の夜に行くことを決めた。
メンバーはツリバカ3号と僕の彼女の3人でいった。
大町市の標高2,670mの爺が岳という山。
扇沢という黒部ダムの入り口の少し下の登山道から入った。
連休ということもあって登山者の車がいっぱいでビックりした、用意をして
スタートした、扇沢という黒部ダムの入り口の少し下の登山道から入った。
登り始めて、20分でTシャツは汗だくそれから1時間ぐらい僕にとっては急なのぼりが続いた。
少しすると景色が開けてきて紅葉の雰囲気もでてきた。
少しなだらかになると会話も弾んだり、下ってくる人とも
話をしたり、よくある登山の光景を僕も味わった。
そうなんです。登山者って本当にいっぱいいるんだな~と感じた、そして
装備も万全(僕は用具もなにも無いので素人感がですぎていた)
所々は絶壁みたいな所も通過して種池山荘という山小屋の外で景色をみながらおにぎりを食べた、格別においしかった。
Tシャツはもう限界。。。。薄手のジャンバーに着替えた。聞くとみんなは
速乾性のシャツをきているということだった(やっぱりと思った)
そして30分登ること。
山頂に到着した。
上でもしばらく休憩。。。景色はもちろんのこと高山植物や野鳥や虫
目新しい全ての風景と完全な秋の装い。。。満喫。
そして下山2時間ほとんど休むことも無く無事登山を終えた。
誘ってくれたツリバカ3号ありがとう。。少し大人になった気分です。
糸魚川アオリイカエギング物語②
実は先週末にも日本海へいった、波が高く釣りをする行為すら不可能な波だった。。。。。そして今日
店の片づけを半分終わらせて15時 糸魚川へ直行。
しばらくすると地元の釣り人のオッサンが近づいてきた。
「アジいね~な~いつもなら20匹はいくのに」とイカのエサでもある
魚がうろついていないという不吉な報告。
そして日没。。。。大きなアタリが竿をゆらした。。。。
ビヨビヨビヨビヨ~~~~~~~~すか~NN。。。。外れてしまいました。
今日は調子がいいのか何回もアタリがある。。。。
そして
そして そして
合計の4杯のアオリイカを釣り上げた、先回よりも一回り大きくなっていた。(もちろん食べましたけど)
しばらく海で修行するか、このエギングという釣りは、掛かってからも
いつ外れるかわからないヒヤヒヤ感と釣りをしてる間は終始気を抜けない釣りだなと実感した。 まだまだこの釣りは初心者なのでこれから少し真剣にやっていこう。
また竿 またリール またエギ またPE
結局お金か。。。。誰か頂戴、ナアなあ~ ちょうだ~い。
夏の終りのありがとう。
今シーズンは昨日を持ちまして夏営業は終了いたします。。。。。
白馬の渓流は今日から禁漁になるので終了です。
今年も色々な思い出ができました。
カブトガイド中にお客様のヒザに枝が当たって蛇かと思い悲鳴をあげていた家族の事、慣れない夜中の森何が潜むかわからないと中学生、、、、懐中電灯を握る手が汗でベトベトだった、、、、とか
沖縄の宮古島からミヤマクワガタを求めてきたお子さんにミヤマクワガタを見つけてやることが出来なかった悔しい思い、釣りでは、、、ブドウムシを手に持って泣き出した子、何十年ぶりに釣りをしたと喜んでくれたお父さん。。海外でメートル級のサーモン釣ってるのに、手のひらサイズのヤマメに風流があっていいな~と感動してくれた別荘住まいのご主人 エトセト
ラ。
店に来る常連の白馬の中学生達、、、高校受験の夏期講習。。。
釣りを我慢して勉強に励む。。。。悲しいような複雑な気持ち、それでも奴等はどんどん大人になっていく。合間に釣りにも行けると 目がキラキラしとる釣りは青春なんやろうな~と確実に感じた。
早く高校生になって遠くに釣りに行こうと約束した。
毎年色々な人との出会いや絆が楽しくなる。。。。今シーズンも本当に
周りの宿や地域のの方々に支えられて、夏の営業を終える事ができました。
本当にありがとうございました。
来シーズンも爆発していけるように、僕自身もパワーアップして行きます。
夏に出会えたyamany-kawanyファンの方々。。。。夏もあれば冬もあります。
絶対に白馬コルチナ国際スキー場に足を運んでくださいね。ヨロシク